log

全メール喪失事件

06 18 *2016 | 未分類

 ブログ再開します。ひとつ、みなさんにお詫びがあります。

 5月の連休明けに、なんとなくよさそうなのでパソコンをWindows 10にバージョンアップした。ところが、作業中に頻繁にフリーズしてしまう。これじゃあ仕事にならんと、1週間後、元のWindows 7に戻した。
 そこで事件が起こった。なんと、メールのデータがすべて消えていたのだ。いや、正確には、1週間前までの受信データは残ったのだが、送信データは直近のものまですべてアウト。円窓社を始めて以降、1年半のさまざまな履歴が跡形もなく消失したのである。

 幼い子どもは、さっきまであった物が見当たらないと、ほんとうにどこかへ(この世から)消えたと思うみたいだ。もう存在しないのだから、あきらめるしかない。だから、悔しがって泣くことはあっても、熱心に探さない。大人は、物が消えるはずはないと考える。ちゃんと探せばどこかにあるに決まっている、と。
 ぼくは大人だから、直ちに子どもの思考法に移行できない。もうどこにも存在しないと思い切れない。つまり、あきらめがつかない。しかし、やがてそれが空しい抵抗だと悟るのだが、そこまで時間がかかるのである。
 ただ「メールデータをすべて失った」と言えばいいものを、こうやって屁理屈を繰り出すので、どうしても文章が饒舌になる。が、もう少し付き合っていただきたい。

 すべての森羅万象は、刻一刻と姿を変え、一瞬としてそこにとどまらない。長い時間のスパンで見れば、すべてのものは生成し、成長し、やがて消滅する。形あるものは、必ず風化→消滅するのに、ぼくたちはその一瞬の残像を記憶にとどめてしまう。記憶にとどめたものは固定されてしまうから、時間の影響を受けない。いつまでも、そこにとどまったままなのだ。記憶は、すでに存在しないものを存在するもののように扱う。ここに躓きの石がある。
 世界の王は、「神」ではなく「時間」である。時間という観念の前に、すべての挑戦は敗北する。しかし人の脳は、それに抗おうとする。滅びないもの、永遠なるものを希求して、人は必敗の闘いを挑んできた。さまざまな芸術作品は、その闘いの残骸なのだ。
 …もうやめよう。書き始めたときは、こんな話になるとは思わなかった。

 本題に戻ります。あれからほぼ1か月が過ぎました。事件の起こったXデーには、福島第一原発の「全電源喪失」という言葉が頭をよぎりました。
 つまり、お詫びしたかったことは、みなさんからいただいたメールを全喪失したため、まだご返事を差し上げていなかった用件メールもたくさんあったことです。返事がないじゃないか、失礼な奴だと思われた方が、たくさんおられたと思います。どうか事情をお察しいただき、もう一度、お問い合わせいただければ幸いです。
 次に、なるほどケア塾主催セミナーへのお申し込みですが、最近は円窓社へ直接、または医療・介護セミナーサイト(Meducationなど)を通して、メールでお申込みいただくケースが増えています。いただいたメールには、翌日、または翌々日には「受付させていただきました」と返信メールを送らせていただいております。ですが、Xデーの前後に数件、受信されなかったメールがありました。これにつきましても、深くお詫びいたします。
 同じ理由で、「虐待」についての文章をいただいたみなさんにも、ブログにUPする前に貴重な論考を失ってしまい、そのままお詫びを申し上げられずに今日を迎えてしまいました。大変、申し訳なく思っております。いつまでもダメージを引きずる訳にもいきませんので、そろそろ「虐待をめぐって」の続編を再開したいと思います。もしこのブログを読み、心当たりの方がおられましたら、再送いただくと助かります。
 その他、友人・知人のみなさん。みなさんとの長いメールでの意見交換、得難い貴重な〈時にくだらない〉応答も失われてしまいました。しかし、これは断念します。そのことで、友情が損なわれることはないと信ずるからです。ただ、メールアドレスがわからなくなった方が相当数おられます。気が付かれたら、空メールを送ってください。

 さて、少しだけ予告編。
「虐待」というテーマの前に立ちすくんでいて、一向に前に進めない。だからといって、日々そのテーマを考え続けていたというわけでは、もちろんない。この間、今述べてきたようなパソコンのトラブルに巻き込まれたのだが、それはブログをストップしていた言い訳にはならない。
 ひとつはっきりしていることは、「虐待」について考えることが、「介護」とはなにかを考えることであり、同時に「人間」とはなにかを考えることである…、そういう地点からでなければ、なにかを語る興味も意味もないということだ。

 実は、5月28日、翌日の「紙芝居セミナー」に参加するため岐阜から上京した伊永紳一郎さんと一席設けることになった。参加者は他に、遠山昭雄、松村康貴両氏。わざわざ東村山までお出かけいただいたのだが、のっけから「虐待」の話になった。
 いきおい伊永さんから「社長は、ぼくの文章を読まれてどう思われたんですか?」とストレートに尋ねられた。ぼくは苦し紛れに、この間、考えてきたことを述べさせていただいた。
 話してみて、いくつか自分の中で見えてきたことがある。それを、書いてみたい。ただ、結論のある話ではない。なので、考えつつ書き、書きつつ考えるということで進めていくしかない。どこに行きつくか、ゴールは見えていないのだ。

 あの日、福祉社会を「地獄」だと嫌悪し、ケアとは専門家による「生の管理」だと断定したイバン・イリイチのケアについての考え方から、ぼくは話し始めたのだと思う。
「ケアとは、人間存在を『ニーズ(基本的な欲求)の固まり』としてとらえる人間観にもとづいています。そうしたニーズをひとつひとつ満たしていくのがケアである、と。しかし、じつは、ケアこそが、もともとありもしなかった人びとのニーズをつくりだしているのではないか。これがイリイチが看破したことでした」(渡辺京二『無名の人生』)

 中途半端だが、これから思い出せる限り、続きを書きついでみたい。
 明日は、「よりあい見学ツアー」第2弾のため、福岡に向かいます。

18:06

虐待の深層をめぐって④

04 05 *2016 | 未分類

 介護職のみなさんから寄せられた文章を読んでいると、介護ストレスから虐待へ、虐待からその先にある殺人へと至るプロセスに、心の防波堤なんて機能しないのかもしれないと思えてきた。防波堤は砂上の楼閣で、心おだやかなときはそそり立って見えていても、踏み越えてしまえばなだらかな一本道だった、というような。
 いや、殺人は違うだろうとおっしゃるかもしれない。怨恨や激情にかられてわれを失い、気がついたら相手を殺めていた。そういう種類の殺人は、戦後直後ならまだしも、この数十年はめっきり減っている。いまはそうではない。ネット時代の殺人とは、匿名性を特徴としている。2008年に起こった秋葉原通り魔事件を思い浮かべてもよい。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)したあの事件は、まだ多くの人の記憶に新しいはずだ。
 犯人の加藤智大は、心のよりどころとしていた携帯サイトの電子掲示板に1000回を超える書き込みをしていた。そこには、会社にとって自分はただのコマ、数字上のひとり、自分を必要としている人間なんてひとりもいない、と書き込まれていた。殺す相手が誰でもよかったということは、自分が誰でもない存在として扱われてきたからだ。家庭から、学校から、会社から、社会から…。殺す側にも、殺される側にも、事件が起きるまではまだ固有の名前はない。
 しかし、「秋葉原で人を殺します。車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」と書かれた犯行予告、あの書き込みは、誰か早く気がついて止めてくれないか、というSOSではなかったか。だが、呼びかけられた「みんな」には、名前は書かれていない。

 あるいは、格差社会の下層を生きざるを得ない若者が、同じ下層の人たちに牙をむくケース。2005年に起こったホームレス殺人事件は、今回のSアミーユ事件に似ていないか。「むしゃくしゃしていたのでホームレスを狙った。ホームレスなら殺しても構わないと思った」と、殺人罪で起訴された都立高校定時制4年の20歳の男(事件当時19歳)は供述していた。
 そういえば、ぼくはまだ伊永論文への返事を書いていない。あの論文では、ぼくは明らかに「虐待をしない」側の人間である。そう名指しされている気がする。その場所から言えることはなにか。それを考えつづけている。
 
 今回は、本多直子さんから届いた「感想文」を紹介する。本多さんは、東京都北区で認知症の人と地域で交流する場「おむすび」というサロンを主宰している人である。

 伊永論文を読んで
                              本多直子
 伊永さんの感想です。
 虐待は殺人とイコールではない。…と私も思ってます。が、人は魔が差したときに殺人に突然変異するかもしれないとも思います。
 殺したい。…とは思いませんでしたが、
早く死んでしまえ。…とは、実の親の介護に疲弊して私は何回も思いました。
 その事がいまだに私の心の奥底にあって、罪を償うために今、介護の仕事をしている感じさえあります。
 私の両親はガンで亡くなりましたから、医者の余後の見立てはほぼほぼ正しく、ゴールが見えているなかでの介護でしたが、それですらイライラおむつを交換していました。
 ゴールも見えず、認知症が重く、うまくコミュニケーションがとれなければ、いくらプロとして仕事をしてもイライラはつのると想像に容易い。
 また、いいケア(個別性、尊厳を尊重し、できることを奪わない)をしようとすることでも介護する側に知らずにストレスがたまります。
 介護職が感情労働である限り、どこかでイラっとし、知らずに貯まる。
 そこへたまたまの介護拒否にあい、感情が突然爆発するのではないでしょうか。
 虐待といじめもイコールではない。…と思ってますが、
「黄色い傘もってるひと手をあげて」
「わ~いお前だけ持ってない」
 子どもが仲間外れを見つけて遊ぶのと、集団の中に対象を見つけていじめることは同じで、集団の親睦を深めるためのコミュニケーションの一種ととらえられます。
 同僚の虐待の行為を見て見ぬふりするのは、同じような心理が働くからではないでしょうか。
 職場の先輩や同僚の送り(利用者の状況の報告)を聞いて、ナースコールが頻回で自分だけでなく皆も困っていると知り、1人がナースコールを届かないところに置いた。
 それを知りまた、誰かが真似をする。
 虐待に繋がると知りつつ、皆もやっているという安心感。俺だけじゃない。
 私には誰が悪いのかわかりません。そのような環境を作った経営者なのか?介護保険制度なのか? それとも国政なのか?
 人間の無意識な心理がそういう行動に走らせるのならば、あれは自分であったかもしれません。
 うまく表現できませんが、そんな風に思いました。

[追伸]
 エピソード、思い出しました。
 川崎市の殺人事件のTV報道を入院したベッドで食事をしながら見ていた患者さまが、突然泣き出したのです。
「どうしました?」
「ホームに帰りたくない。ホームに帰るのがこわい。私もいつかは殺される」
 家に帰りたい。…と泣くかたは山ほど見てきました。
 初めての体験で、私は言葉を失いました。
「報道がすべてではないですし、介護職皆が殺人犯なわけではありませんよ」   
 やっとそれだけ伝えて病室を去りました。
 より良いケアをすることを真面目な介護職が目指すと、施設管理や法制度にぶつかります。
 朝、目覚めが悪い利用者さまがいて、朝食が食べられない。
 衛生管理上、食事は作ってから2時間以内の提供しか出来ません。
 厨房で一気に作りますから、その時間内に起きないと食べることができなくなります。
 朝、目覚めが悪い理由を探したり、起床前に朝陽を部屋に採り入れ自然に目覚める工夫をしたり…、介護職はいろいろ試行錯誤するわけです。
 本来、家で食事は好きな時間に好きなだけ食べるものですから、個別ケアとしてそれぞれの要望に答えたいとも思うわけです。入浴もしかり。
 そういうこともストレスなのでは? と思ってます。
 また、いいケアを日頃していても、おむつ交換の際にたまたま拒否され、腕を引っ掛かれイラっとすることもあると思います。
 だからと言って、利用者さまから介護職が暴力をうけたとはあまり思わないとは思いますが、他業種に勤めていて、お客様に手を出されるというのは明らかに誰もが暴力と思うわけです。
 Twitterで介護職が利用者さまからうけた暴力? でできたアザや傷あとを載せていたりもします。
 基本的に人の嫌がることをしないのが本来ですが、おむつ交換など、嫌がられてもしなくてはならない場合も多い仕事です。
 そこをかわすというか、嫌がられない方法を探り、抵抗なく支援するのもプロとして当然なんですが。

19:56

虐待の深層をめぐって③

04 02 *2016 | 未分類

 昨日、増田信吾さんから届いた文章をブログにUPしました。けっこう「毒入り」なので、これを最初にもってくるのはどうかと迷いましたが、ここを議論の起点にしたいという思いも断ちがたく、載せる決断をしました(今回は「です・ます」調で書いてます)。
 今朝、さっそく反応がありました。「よりあい見学ツアー」同行記に登場した斉藤ゆきさんからでした。実は、すでに彼女は伊永論文を読んでいて、その感想文を伊永さんに送っていたらしく、伊永さんから同じ「虐待する主体として」というタイトルの彼女の文章を預かっていました。それも、次の次くらいにブログにUPしようと思っていた矢先、追撃するように「毒入り」メールが届いたのです。
 でもご安心ください。この「毒」には、解毒作用が含まれています。いや、体内をめぐるうちに「快楽物質」に替わるかもしれない、そういう種類の「毒」です。詳しくは、「毒キノコ」という痛切な彼女の絶叫をお読みください。

 ぼくは、FacebookやLINEがどういうものか知らないわけではありませんが、できるだけ近づかないようにしていました。伊永論文にも出てきますが、「いいね!シェア!」にも不快感がありました。こんなことしてたら、言葉が劣化する、じっくりゆっくり考えて書くという習慣を奪われてしまう、と。
 このブログは、老いの日々の雑感を書くつもりで始めました。しかし、個人的にやりとりしているメールの内容を、そのまま埋もらせてしまうのはもったいないということに気づき、ここを議論の「場」にするという別の使い方を思いついたのです。前日UPした反応が1日と間を置かず返ってくる。このスピード感に、新鮮な驚きを感じているところです。
 ブログにUPしようと思っていた順番を変更して、斉藤ゆきさんの伊永論文への「感想」と、今日届いた新鮮メールを掲載します。
 その前にいくつかお断りがあります。
 これから送っていただく感想文や論考は、ブログに掲載させていただく可能性があります。それは困るという方は、「掲載不可」とお書きください。また、掲載してもいいが実名は出したくない方は、「実名掲載不可」とお書きください。さらに、これからの展開によっては、いただいたメールへのご返事ができない場合がありますので、あらかじめこれからいただくメールへのお礼を先に述べておきます。
 もうひとつ、ぼく個人宛のメールに、よく「社長」という表記が出てきます。これは、三好春樹氏がぼくのことをそう呼ぶので、それが介護職のみなさんに感染したものです。あまり好ましい呼び名ではありません。いつだったか、上海の豫園あたりで、ぼくは「社長!」と呼び掛けられ、思わずぼくのことを知っている人だと勘違いして「はい!」と反応してしまいました。しかし、ここまで流通してしまうととどめようもないので、仕方ありません。
 

 虐待する主体として                    
                                  斉藤ゆき

 介護にまつわる偏向報道の隠された意図がどこにあるのかはひとまず置いて、全ての報道には、少なからず偏向があると知ることは意義のあることです。
 介護という仕事を知っている私たちは、介護にまつわる報道の偏りには気づき腹を立てますが、他の多くの事件・事故に関しては報道をそのまま受け入れ、偏見を持ってその関係者を見てしまっている可能性があるということです。その偏見は、時に誰かを著しく傷つけ苦しめているかも知れません。
 人は正気では人を殺しません。狂気がそうさせるのです。その狂気はどこで生まれ、どこに潜んでいるのか。いつ、どうやって発動するのか知っていますか?
 それが分からないなら、人を「生かさない」「育てない」「守らない」、この狂った社会システムの上で無意識に生きるなら、私たちは知らぬ間にいつでも被害者にも加害者にもなり得るということを、誰もが肝に銘じておく必要があるのではないでしょうか?
 社会の歪みは一番弱い所に顕れます。
 狂った誰かがたまたま現場に紛れ込んでいて、それで殺人をやらかしたと?
 そうかもしれません。でも、何がその人を狂わせたのでしょう。その原因は私たちとは「無関係」ですか?

 続いて、今朝とどいたメールです。

「茂木社長
 ブログ拝見させて頂いてます。伊永論文、興味深い展開になっていますね。
 増田さんのヒリヒリするような告白を読んでいたら、私もどうしても告白したくなりました。
 実は、私は、この事件は最初からスルーしていました。興味がなかったわけでも、無関心だったわけでもありませんが、私の中では「それが介護現場の現実」、という思いがありました。
 だから報道もほとんど見ませんでした。あの手の事件が世間でどう扱われるかなんて分かってるし、それが世間の目だろうと。それに、どうせ、シタリ顔で、介護現場の大変さを煽って、介護ロボット導入を!などと、世論を味方につけ、本当に現場の負担軽減のためにでも何でもなく、ただ利権に群がるつもりなのだろうと。それくらい冷めた気持ちだったのです。
 伊永論文を読んでから初めて「いいね!シェア」とは、いかなるものか? と三好さんのFBを覗き、逆に衝撃を受け、打ちのめされました。みなさん、何て介護という仕事を大切に、誇りを持って働いていらっしゃるのか。そして、そのような良い現場がこんなにも沢山あるのかと。なのに、この私は、一体何なんだ!と。

 社長のブログ、よりあいツアーの反響のところで、伊永さんのメールが紹介されていました。あれを読みながら、彼のイライラが猛烈に私に移って来るのを感じました。私の中から猛毒が吹き出て来たのです。以下は、その毒を、毒キノコと称して彼に送り付けたメールの内容です。

 毒キノコ

 介護現場なんて概ね掃き溜め。
 コピペみたいな理念掲げてさ、張りぼてみたいな資格持った専門職が蹂躙しててさ。その実、素人の巣窟。
 NSもPTもOTも、歯科衛生士もお医者さんも、もちろん企業のお偉いさんも、それから接遇の先生も、みーんな1人で夜勤なんかやらないの。だから彼らは虐待に手を染めることはない。年寄りの虐待にはね。お偉いからさ。殺しちゃうかも、とか、苦しむこともないし、暴言はいて自己嫌悪で泣くこともない。自分の中の狂気に気付いて震えることもない。
 殺人だろーが、虐待だろーが、関係ない。あれは自分だ! 明日、自分は逮捕されるだろう。でも、別に構わない。
 そんな夜は何度でもある。
 誰が介護現場のどーしよーもなさを解ってくれんの?
 現場の介護職に、どんだけの良心を要求するの? 社会全体に人間が育っていないというのに。育てなかったのは誰なんだよ!
 良い土壌(場)ではキノコも毒を吐かないの。せっかく、よりあいで心を洗って来たのに……。

 と、このような文章ですが、この大暴言吐き捨てメールを真っ向から受け止め、送り返してくれたのが、伊永論文でした。
 彼は凄いと思いました。自分自身は「介護まめ家」で、虐待とは無縁の良い介護を展開するために、日々奮闘しているでしょうに。
 良い現場もそうでない現場も、みんな制度との間で苦しんでいます。もちろん、良い現場の取り組みが、現に人を生かし育てていることは私も知っています。それが介護の希望ですから。
 今後の展開も興味深く、社長のブログに注目しております。」

12:40

虐待の深層をめぐって②

04 01 *2016 | 未分類

 前回の伊永論文の前振りで、これは曲玉であり、「挑発的論点」が仕込んであると書いた。なんだか冷たく突き放したような言い方なので補足しておきたい。
 伊永さんはこの事件についての介護界の、いやもっと広く世の中の受けとめ方に苛立っていて、自分の声を、考え方を誰かに届けたいと切実に願っている。読んだ人の感情を揺さぶり、「ちょっと待て、それは言い過ぎだろう」という感情的な反応を期待している。いや、「お前の考えは間違っている」という読み手からの反撃すら誘っている。
 三好春樹さんの2月15日付Facebookの「緊急メッセージ」に900人を超える人たちが「いいね!」をクリックし、300人を超える人たちが「シェア」し、40件のコメントが寄せられた。その現象に触れて、伊永さんは「同感!いいね!シェア」で、「権威」である三好さんの発言を承認し、今回の事件を一件落着してしまうつもりなのか、と挑発している。
 もっとある。彼は介護保険を「虐待システム」だと言っている。Sアミーユの事件は、弱者同士の「共食い」だとも…。この問題提起を、介護保険制度の上で仕事をしているみなさんは黙殺していいのか。曲玉とはそういう意味である。
    ※
 最初に感想を寄せてくれた増田信吾さんの文章を以下に紹介する。増田さんには「よりあい見学ツアー」で事務局をやっていただいたので、ブログに何度かお名前が登場している。少しだけ彼のプロフィールを書いておきたい。
 昨年の7月、甲府のごくらく介護の会が、ぼくの講演会をひらいてくれた。そこに、たったひとり、東京から聞きに来てくれたのが増田さんである。名刺をもらっていたので、秋になってからだと思うが、彼に会いに行った。「なるほどケア塾」のセミナーを手伝ってくれないか、という相談だった。
 ちょうど同じ時期、彼もメンバーである「いちごクラブ」という施設横断的な勉強会が立ち上がろうとしていた。6人の男女混合メンバーで、いちごは一期一会の「一期」からのネーミングである。この会が正式に立ち上がったのは昨年の12月、代表は金子靖子さん。
 今年になってからだが、このメンバーが「なるほどケア塾サポート隊」という別組織を立ち上げてくれた。その隊長が増田さんである。いまは、首都圏のケア塾主催セミナーにはメンバーのだれかが駆けつけてくれて、受付や本の販売などを手伝ってくれている。敬老精神に富んだ、やさしい人たちである。


 伊永さんの「虐待する主体として」を読んで
                                増田信吾

 大変遅くなりましたが、伊永さんの文章を読んだ感想を送ります。
 これで書き直し3回目です。これ以上書き直しても時間だけが経過すると感じたため、これを送ります。以下は全て夜勤明けのクソ脳みそで書いています。書き直すたびに、同じ文章がひとつも出てこない事に不思議を感じます。誤字脱字、意味不明があったらすいません。

 自分は三好春樹さんのSアミーユの件についてのフェイスブックを読んだ後、シェアはしませんでした。自分なりにSアミーユの件についての考えがまとまる事ができたら、シェアしようと考えていたのですが、考えがまとまらなかったからです。

 今回の件について考えているうちに、自分と今井さんの共通点がいくつかある事がわかりました。まず20歳から介護の職場で働いているという点です。
 自分がいまの職場についた時は介護館という建物ができた直後でした。ソフト面の体制ができていなくて、人間関係は女性の職場にあるドロドロとしていてピリピリした空気がずっと流れていました。自分が入社して、3~5年経過した頃には、職員が月に1人辞め、月に1人新しい人が入ってくる状態。ほぼ毎日、新人職員について同じ事を指導するという日々でした。

 また、介助動作にもなれていなくて、腰痛をやっていました(今は身体の使い方もなれて腰痛もほとんどなくなりました)。自分は負けず嫌いだったので、腰痛があっても、他の職員には言わず、我慢して介助に入っていました。今井さんの職場の虐待風景を見ると、力任せで無理やり持ち上げている様子がうかがえます。勘ですが、今井さんも腰痛や膝痛というのを持ち合わせていたのではないかと思います。腰痛、膝痛がある中での痛みに耐えての業務というのは、想像以上にストレスがかかります。

 有料老人ホームは、経営母体は一般企業がほとんどだと思います。自分の働いている職場は縦社会で、上の立場の意見を尊重しなければなりません。経営をまかせられている上の立場の方達、社長や施設長などは、親会社から急にとばされてきた方達で、介護経験もなく、知識もない方達です。現場でおこなっている事に対して、施設長が適切に指導できていない現状があります。

 職場の同僚で、老健で働いていた経験のある方がいました。老健時代の仕事のやり方が体にしみついているのか、相手を力づくで横にしたり、やや雑な介助をされている方でした。上司の方はそれが気に入らなくて、雑な介助を見かけた後に、ご入居者に近づき、その方から「怖かった」という言葉を引き出し、それを理由に他部署に異動させたのです。
 問題を、場やシステムの問題と捉えず、個の問題としてとらえてしまった事で、他部署に異動させるような事態が起きたと思っています。少ない人数で忙しい時に、介助が雑になる事は誰にでもある事です。それを「誰でもあるよね~」と捉えるか、「お前だからこうなったんだ」と捉えるかでは、全然ちがってきます。
 
 体制が整っていない事での人間関係のストレス、仲が良かった職員が次々に辞めてしまい、相談相手がいなくなるストレス、腰痛による身体的ストレス、場やシステムの問題と捉えずに個に責任を求める考えによるストレス、それが改善されていかないストレスなどなど、20代前半の頃の自分にはすごいストレスがかかっていたのではなかったかと思います(人間としての考えの未熟さもプラスされます)。

 当時、夜勤をやっている時に、手をだしてしまった事、耳元で怒鳴ってしまった事も何回もあります。相手を傷つけてしまうのはダメだと思い、とった対策は自傷行為でした。ストレスがかかりイライラした時に、壁や木などを殴ったり蹴ったりしてストレスを発散していました。壁や木を殴ったりすると、結構大きな音がするので、他の職員に気づかれてしまうということがあったので、自分の太ももやお腹を殴る事でストレスを発散していました。
 自傷行為をやめることになったきっかけは、ある日ペン先で手のひらを突くという行為をしていた時に、力が入り過ぎてしまったのか、動脈までいくケガをして、手のひらから血が噴き出てきてしまった事です。動脈を傷つける事はそれまでなかったので、あまりに勢いよく血がでているさまをみて、驚きました。ガーゼで保護し、家に帰宅してから、ガーゼを剥がしてもまだ止血できていない、血が噴き出る状態でした。そこで目が覚めました。こんな事はもうやめようと。
 自傷行為という異常な状態が、あたり前になり、そこから更に上の段階の異常に至ってしまったのだと思います。手の平にまだその傷跡が残っていて、いい戒めだと思っていたのですが、今回の事件があるまですっかり忘れていました。

 今井さんの現場でも、異常が当たり前になっていたのではないかと思います。推測ですが、利益重視で介護事業に参入した方達も、介護現場を見るのは初めてで、介護現場などどこも同じでこんなものだと思っていたのではないでしょうか。いろんな事がかさなり、異常のさらに上の段階の異常に至ってしまったのではないかと思いました。

 自分は自傷行為で終わっていたので、いまも働けているのですが、自傷行為ではなく、相手に攻撃性を向けてしまっていたらと考えると、今井さんと同じ事になっていて、いまは刑務所の中にいたかもしれません。
「あれは自分ではなかったか」は、起きた問題をその個人の問題としてとらえずに、誰にでも起きる事だった、たまたまあの人がやってしまっただけと考えられるかどうかです。個人の問題ではなく、場やシステムの問題ととらえ、誰にでも起きる事だと考えて改善していく。個人の問題だったという結論は最後に残しておくことだ、と解釈しています。

 テーマが重たすぎですね。自分も明日、または明後日、感想文を書けと言われたら、全然違った文になると思います。結論など出ない事だと思うので、話し合いを続ける、途切れさせない、忘れない事が大切だと思いました。

13:19

虐待の深層をめぐって①

03 30 *2016 | 未分類

 前回の「よりあい見学ツアー」の反響②に、岐阜の伊永さんから届いたメールを転載した。そこに、「このメールを受け取った後も、まだツアーや介護をめぐってメールのやりとりが継続している」と書いた。そのあと、どんなことが起こっていたか。
 何度かメールのやりとりがあったあと、3月21日に、伊永さんから「虐待する主体として」という400字で15枚に及ぶ論考がメールに添付されて届いた。Sアミーユの事件に触発されて書かれた「虐待論」だった。これを読んだ感想をお聞ききしたい、という趣旨のことが書かれていた。すぐに読んでみた。
 高校野球が佳境なので、野球にたとえて言うと、ど真ん中に投げ込まれた剛速球だった。介護の現場から書かれた、はじめての本格的な虐待論、というか事件論である。
 できればスル―しようと思っていた重たいテーマに突然、向き合わされて、さてどう打ち返せばいいかわからない。それに、ぼくが介護職でないことを知っていて、ぼくに送ってきた意図とはなんだろう…。とりあえず、バッターボックスを外し、呼吸を整え、球筋を見極めなければと思った。
 素振りをしながら最初に思い浮かんだのは、身近な介護職の人たちに読んでもらって、感想を聞いてみることだった。伊永さんには、しばし時間がほしい、と返信した。最初、球筋はストレートだと思っていたが、これは曲玉(くせだま)である。随所に、多様な「挑発的論点」が仕込んである。
 いま、この論考を読んだ介護職のみなさんからの感想が続々と届いている。しかも、通り一遍の「感想文」などではなく、この論考の筆者と同じように、あの事件を自分の問題として引き寄せ、自分の血肉を削って書かれた論考である。それを、これから順次、掲載していくつもりである。
 その前に、まずは発端となった伊永論文を、本人の承諾を得てここに掲載させていただく。蛇足だが、文章の最後にある「腕(かいな)結びゆく」は、「インターナショナル」という革命歌にあるフレーズである。


 虐待する主体として         
                      介護まめ家 伊永紳一郎

あれは自分ではなかった

「虐待には至っていないけれど、私だって……」という告白は、「私は(少なくとも今は)虐待しない側の人間だ」と言っているに過ぎない。「あれは自分ではなかったか?」「いや、今のところ自分ではない」それが、言いたいことなのかい?

 一昨年に起こっていた川崎の介護施設での連続転落死事故が、去年明るみになり、今年になって殺人事件だったということがほぼ判明した。一つでも不自然なあの事故が、二つさらに三つ続く過程は、ひとりの殺人鬼が用意周到に行った犯行ということだけでは、全く説明がつかない。二つならず三つの不可解な事故が重なってもなお、これらの事案が世間に広く知られるまでに半年かかった背景には、不自然さに気がついていながら、その状況に何もしなかった人たちが、相当数いたと思わないでいられない。この事件の分かりにくさは、転落死事件そのものの不可解さのみならず、この事案を大事として取り扱いたくない関係者の保身の連鎖がもたらした不明瞭な対処の数々に由来するのではないか。
 そこにいる関係者の多くは、「関係者というほどではない」人たちだったろう。それは、「私だって介護の虐待と無関係とは言わないけれど、殺人を犯したあの人を、あれは自分だったというほどではない」と言うのと、ほとんど同じだ。

 今回の転落死や虐待の事件について、介護現場からの発言はとても少ない。三好春樹さんや高口光子さんがフェイスブック上で積極的に発言しているが、それに対して、多くの介護現場の仲間から「同感!いいね!シェア」という支持があった。三好さんらの発言が承認され拡散された体で、それらは瞬く間に彼方へ流されていったように見えた。彼らのような「権威」に賛同することで、今回の事件を一件落着にしてしまおうという心理が露見したように思えてならない。三好さんや高口さんが、「権威」になることをよしとしないことを、みんな分かっているはずではないか。

 結局のところ、事件の流れに関わった人たちも、このニュースに接した介護現場の仲間たちも、「自分にはそれほど関係がない」と言いたいようにみえる。そしてこれこそが、虐待が連綿と続いていく根本的な原因なのではないかと思える。

 今回の事件のややこしさは、連続転落死事故とその後次々に明らかになった虐待事件がごちゃまぜになっている点だ。入居者を乱暴に扱う虐待映像は、これまでもあったたくさんの介護施設での事件と大差ない。この事件が明るみになる直前にも、しょうがい者施設でのひどい虐待映像が流出した。だが、虐待と殺人は、似ているようで全く違う。誰かに対する憎しみが虐待の域を超え殺人に至ったというストーリーは理解しやすいが、今回の事件に関しては現実味が薄い。被害者となる高齢者をベランダまで誘導し、その身体が柵を越えて転落するように仕向けるのは、瞬間的な激情がそうさせたというには手間がかかり過ぎている。ましてや、その後起こった二件の転落事故も同じ犯人の仕業ならば、なおさらだ。同じような時間帯に同じような場所で三件の事件が起こっている事実は、計画性を推測させる。同じような事件が重なれば重なるほど、特定の個人をターゲットにした可能性は低まり、代わりに浮上するのは、「殺すこと」そのものを目的にした犯行ではないかという可能性だ。虐待と殺人は、関係はあるだろうが、同時にまったく別の側面があることも考えてみるべきだろうと思う。
 そしてこれだけは言っておきたい。この事件は間違いなく、介護現場で起きた、介護の事件だ。

虐待の心理

 転落死事故が事件性を大いに疑われながら、先に事件として認定されたのは、その後に判明した虐待の方だった。それについては、虐待映像が公開され、その後実質解雇された四人の介護職員のうちの一人に、中村敦彦というジャーナリストがインタビューしている記事(現代ジャーナル二〇一六年三月十七日)が、とても興味深い。
 その職員の発言を拾ってみる。
「人手不足と言うよりも、少ない人数で合理的に運営する方針」
「分単位で業務をスケジュール管理され、認知症高齢者の突発的な行動に対応できない」
「職員を召使の奴隷の様に扱うモンスター家族」
「ころころ変わる施設長」
「転落死事故の説明も対策もない上層部への不信感」

 いい介護をしたいという志をもって入職した彼は、ライン表と呼ばれる十五分刻みのスケジュール表に管理された孤独な業務の中、ライン表に想定されていない、鳴りやまないナースコールや徘徊に振り回され、さらにモンスター家族の対応に苦慮した。みんな真面目でモチベーションもそれなりに高かった職場が、頼りにしていた施設長が他の施設に人事異動したことをきっかけにおかしくなっていった。綺麗ごとばかり言うが現場に無関心な新しい施設長の元では、転落死のような重大事故が起きてもまるでそれがなかったかのように扱われ、施設側の対応のひどさに耐えられず直訴した。施設側の素っ気ない返答に不信感がさらに募り、うつになるほど精神的に追い込まれていった。

 加害者である彼の言葉をどこまで真に受けていいかという疑問はあるが、語られている現実は、全体的には「よくある話」の羅列ではないか。しかしひとつひとつのことは、「よくある話」でも、かなり際どい方だ。
ここに見えるのは、
 ①徹底された業務と経営の合理化
 ②ケアされない職員の孤独
 施設側の運営の仕方に問題があったということになるが、入居者への不満が多く語られないのは、彼が自分を虐待事件の加害者と認めた後であることが理由と考えるべきだろう。彼が精神的に追い詰められていった時、その辛さの原因を手っ取り早く目の前の入居者に求めたとしてもおかしくはないし、そうしたことは実際あったろうと思う。

 業務や経営の合理化は、すべての介護事業所にとって最大の懸案事項だ。十五分刻みのスケジュール表で職員ひとりひとりの業務を徹底管理するというのは極端なやり方だという批判はあるだろうが、これからの介護経営という観点からすれば、この施設の運営方法は、先進的だったのではないか。先進的というのは、皆が向いている方向の先の方を行っているということだ。この方向を向いていない介護事業所なんてあるのだろうか? 方向はいいが、極端だったからマズかったのだろうか? しかし一方で、この施設では、サービス残業がほぼなく、休憩がちゃんと取れて、給料が相場より高かったのだとしたら、どうだろう。この施設の悪い面だけを指摘して、他の多くの施設より良い面があるのに指摘しないのなら、それはフェアとは言えない。

 彼は、殺人を自供した男性と同じ職場にいて、同じ虐待の場面にいるところを録画され、ナースコールを抜き暴言を吐いたことが問題視されて解雇になった。彼が精神的に追い詰められていったのと同じ状況は、逮捕された元同僚にもあっただろうし、おそらく多くの介護現場でも、多かれ少なかれ、同じような状況があるということは、容易に推測できる。この介護現場は、かなり過酷な職場だったであろうとは思う。だからと言って、他に比べて飛び抜けてひどく、悪質なところだったとまでは言えないのではないか。
「あれは自分だったかもしれない」と言いたくないならそれでもいい。けれど誰が、「同僚の誰かがああなる可能性は決してない」と言えるだろうか。同僚とあなたは、どれくらい違うのか。解雇された彼と、或いは逮捕された男性と、僕らがどれほど違うというのか。

殺人の心理

 虐待と殺人は、明らかに違う。憎しみの延長が虐待を超えて殺人に至るとしても、大きなきっかけが必要だろう。殺人が、虐待のただの延長とは想像しにくいではないか。

 事件に関する報道記事を集めてみて、気になったことがいくつかあった。その一つは、逮捕された彼が、救急救命士だったという事実だ。この国家資格を取得した彼が、消防士でもなく、自衛官や警察官でもなく、介護の現場にいたということの背景には、彼にとって不本意な経過があったかもしれない。少なくとも、介護職になることを目指して取得した資格でないのだろうと思われる。
 彼も同僚と同じように、職場に強いストレスを感じていただろう。もし彼が、救急救命士としてのプライドを持ちながら、きつい仕事の中、いち介護職として埋没している現状に悔しい気持ちがあったとしたら、どうだろうか。或いは、自分が社会に何にも役に立てていない忸怩たる思いがあったとしたら。
 自分には何かの役に立てる力がある。自分には人に褒めてもらえるだけのスキルがある。そう思う時ひとは、正統な評価を得る機会をすべて失っていると感じる状態なのだろう。分単位の業務スケジュールで徹底管理され、介護職個人の裁量を発揮する機会を一切奪われた仕事は、働く人間の存在意義さえ透かせていくのではないか。
 厳しい労働環境と相まって、彼が自分の存在意義に対して危機感を抱いたとしたら、彼が自ら自分の最も活躍できる場面をでっちあげたいと思っても不思議ではない。もしかしたら、彼が救急救命士でなければ、これらの殺人事件は起こらなかったかもしれない。それでも、もしこういう精神的経過を彼が辿ったとしたら、殺人それ自体は別にして、その経過を僕らは他人事といえるだろうか。

 お年寄りに「ありがとう」と言ってもらえることが頑張る糧になるという介護職は多い。僕は個人的に、介護サービスを受けるお年寄りの「ありがとう」は、「生きてきてごめんなさい」に聞こえることがある。誰かに「生きていてごめんなさい」と言わせてホッコリする心理とは何だろうと、よく考える。世話を受けなければならない存在に対して、圧倒的に優位な立場にいる自分を確認して安心する心理は、自分が施設の三階から外へ投げ落とした存在の第一発見者になり、必死に救急救命を行った彼のそれと似ているような気がする。暴論かもしれないが。
 彼は光り輝きたかった。ほんの一瞬でも、自分にはこの場所で一番役に立てることがある人間だと証明したかった。そうしないと、自分の存在意義は、誰からも認められない無意味なものになってしまう。それは存在としての「死」だ。彼はそんな恐怖と闘っていたのかもしれない。そう思うのは、勘ぐりすぎだろうか。

反虐待は反社会

 虐待で解雇された彼も、殺人容疑で逮捕された彼も、僕らとどれほど違うというのか。悪質な経営だと言われたあの施設が、他と比べて本当に飛び抜けてひどいところだったのか。

 あなたや僕の職場のことをことさら言いたいのではない。世界は、間違いなくそういう方向に進んでいる。インドでは神様の乗り物として尊敬される牛さんを、僕らの世界では、肉の塊としか見ないのだ。肉骨粉を食わせ共食いさせて、ぶくぶく太った肉の塊にすることだけを成果とする世界なのだ。非道の限りを尽くし、あらゆる命をぞんざいに扱い、合理化効率化を唯一の成果と褒めたたえる世界が、虐待のない社会を目指すだろうか。

 その方向性の上に「介護」を乗せた制度が、介護保険だ。この制度の利用者が受ける要介護認定ではじき出されるのは、要介護度であって、障がい度ではない。つまり、介護保険の基礎にあるのは、どれだけ障がいが重いかではなく、どれだけひとの手を煩わせるかという度合だ。介護保険が介護の社会化ならば、要介護度は社会に対する迷惑度のランキングだ。ひとを迷惑度という尺度でランキングする精神性が、ひとを虐待しないわけがない。どんなに倫理教育をしたところで、それが虐待システムを含む土壌に根を降ろしているのなら、泥棒が防犯教育をするようなものだ。
 僕らはそういう世界に生きている。その世界を劇的に変えようなどと壮大なことを言いたいのではない。この世界の甘い蜜を吸いながら、そんなことを言えるわけがない。ただ、少なくとも僕らは、虐待を誘発する世界にいて、虐待を誘発する介護保険制度の上にいるということを、心に留めておくべきではないか。

 この連続転落死事件を保身の連鎖でスルーしたのは、介護現 場で働くことのない、つまり決して虐待しない人たちだ。虐待しない人たちが、経営効率を競いそれを介護現場の成果の基準にすらするつもりだ。入居者は高い金を払いながら虐待され、職員はそれより安い金を高い水準の給料と言われ、虐待し続けるのだ。

 虐待なんてするんじゃない!
 僕らが虐待するのは、僕らと同じように、経営効率や誰かの保身のために冷遇されている存在なのだから。相手をよく見るのだ。もしかしたら僕らはこのよくできたシステムの上で、共食いをさせられているのかもしれない。
 虐待なんてさせられるんじゃない!
 僕らを虐待するまでに追いつめる仕組みが、この世界の根底を支えているのだ。僕らが虐待する一方で、あらゆる手段を講じて経営効率を上げ、自分の保身のために介護現場を犠牲にすることを厭わない人たちがいる。そして彼らは、決して虐待しない人たちなのだ。

 この世界が根本的に虐待の芽を含む仕組みならば、虐待に対して「ノン!」を唱えることは生半可なことではないだろう。何故なら、虐待のない世界を目指すことは、この社会の仕組みそのものに疑問を投げかけることにほかならず、この世界の行こうとする方向に反することだからだ。虐待を本気で失くしたいと願う者は、まさにその方向の上にしつらえられた介護保険制度の根本に疑問を投げかけなければならない。介護保険にどっぷり浸かり、ご機嫌を損ねないように愛想笑いするすべての事業者にそれができるのだろうか。事件のあった川崎の施設の運営法人は、「施設運営の在り方を今一度徹底的に見直し、再発防止に向けて全力を挙げる所存でおります」と、「メッセージ」したが、「施設運営の在り方」とは何なのか。程度の問題なのか。徹底的に見直すことなどできるのか。誰がそれをできるのか、この国で。僕らの世界で。

 介護が、ひとにどう関わるかを考える役目だとするなら、僕らが徹底的に見直すものは、僕らの生き方と言うしかない。ひとにどう関わるか、それはその人の生き方そのものだからだ。経営、社会、世界というスケールで介護を捉え直さない限り、虐待が減ることはないだろう。そんなことを僕ら一介の介護職員がやれるわけがない。
 僕らがこの虐待システムの上で、虐待をひとつでも減らすためにやれることは何だろう。僕らは、自分の生き方しか問うことは出来ないが、それをする存在として「腕(かいな)結びゆく」より他にないのではないか。沈黙は、YESと同じ。

「あれは自分ではなかったか」
 あれは、僕自身に違いないのだから。

12:38

「よりあい見学ツアー」の反響②

03 19 *2016 | 未分類

 よりあい見学ツアーに参加した、岐阜のデイサービス介護まめ家の代表・伊永紳一郎さんからメールが届いた。私信として書かれたものだが、これをぼくだけが私的に秘匿しておくのはもったいないと思った。ぼくの書いた「同行記」なんかより、ずっと広い視座からのツアー報告である。いや、それだけではない。ここには介護がいま「格闘」している核心がえぐり出されていると感じた。
 伊永さんにお願いして、ここに公開させていただく。文章が未整理だから直してください、との条件付きの掲載だ。だが、最初のやや冗長な部分を少しカットするにとどめた。あとはほとんど原文のままである。ともかく、おもしろくて深い話なので、味わってお読みください。
 伊永さんとは、ここ数年のことだが、会えば楽しくおしゃべりをする間柄である。メールのやりとりが始まったのは、ごく最近のこと。ブログ「介護まめ家の冒険」に載った「3度目のインドにて」という長編旅行記を読んで感動し、感想を書き送ったのが始まりである。それから、何往復したのか…。
 実は、このメールを受け取った後も、まだツアーや介護をめぐってメールのやりとりが継続しているのだが、どこでピリオドを打てるかわからない。そこで、まずは「同行記」を読んで届いた感想メールを、先行して掲載させていただく。
 みなさまからも、ご意見、異論、反論など寄せていただけるとうれしい。


「社長さん、お疲れ様でした。おかげで、大変楽しい旅になりました。
 ブログ拝見しました。
 社長さんのツアーの仕切り、とてもよかったです。何がよかったって、あの頼りない感じです。あの感じは社長さんの地でもあるでしょうが、演出でもありますよね。頼りないツアー主催者でい続けようと。なるほど、それが「場」につながってくるとは…。
 社長さんのフリの何が心地よかったかって、あれ、僕も同じこと仕事でしてますもんね。そういう共感の心地よさでした。僕も頼りなくていい加減で、自分勝手な地とフリをまぜこぜにして、権力にされることから逃げまくってます。それ「場」づくりのためですもんね。

 僕は正直に言って、施設見学には興味がないです。立派な施設を見たって、それは僕の施設じゃないですからね。
 もちろん、参考にならないわけじゃないですが、むしろ見たいのは、そこにあるものではなくて、ないものに対してどうするかということです。ないのだから仕方がない、ということを、どうやるかということです。ブリコラージュ。
 パッと見て分かることなんてほとんどないですし、誰かの生活を「じろじろ見る」「写真にとる」ということが、どうしても馴染めないんです。
 それはよりあいもインドも同じで、インドではチャイを飲む松村さんの写真を2枚撮っただけですし、よりあいでは1枚も撮りませんでした。
 それでも、よりあいの森も第2よりあいも、明らかに感心しちゃう作りがあったし、どういう意味なのかは分からないけれど意図的にやってるのは分かる不思議なところがあって、見る価値はありました。第2よりあいのたくさんの小さな灯り、素敵だけれど、電気代喰わないかな? 
 あれ、よかった。丸見えのキッチンも。
 何より良かったのは、やっぱりそこでは、何も起こっていないということでした。村瀬さんの書く文章って、大方何も起こってないですもんね、実は。
「場」のあり方なんて、見学しても見えないだろうなぁって思います。
 いえ、これは、見学ツアーに苦言など呈していませんよ。見学すること自体にそれほど期待はしていないということです。
 ツアーの参加者さんたちも、実際は、施設のハードでも雰囲気でもなく、何らかの共通認識をもった「仲間」が参加したツアーの「場」に期待していたのだろうと思うんです。
 で、それは大変成功しましたよね。社長さんがそこをよく理解されて、ちょびっと操作してくださったのでなおさらでした。で、その集合場所は、よりあいが一番ふさわしい。これは間違いなく、ですね。
 僕は知りあいが多いわけではないですが、結構多くの人と知り合って話す機会をもらっていますが、僕の中で別格なのは、村瀬さんとこてっちゃんと、小樽で細々とデイをやっているカエル君という無名の男性です。
 その人たちは、立派な人もそうでない人もいるけれど、共通しているのは、何の迷いもなく、下から目線なんですよ。
 年寄りからの目線で、何の迷いもなく、当然のこととして、なんです。
 何の迷いもなく、というのは、結構生半可なことではないので、なかなか出来ないことと思います。だいたいどこかにエクスキューズがあるんです。それがないというのは、生半可じゃないです。
 僕は今回、村瀬さんとほんのちょっとだけ言葉を交わしましたが、「僕のことを味方だと思わないでくださいね」と宣戦布告しておきました。いえ、宣戦布告じゃないんです、ほんとは。ほんとのところは、彼のエクスキューズのなさが、みんなに本当に理解されていないことへの、苛立ちです。
 僕は、彼が言ったこと、やっぱすごいと思ったです。僕と同じことを考えながら、僕よりずっと実践があって、深いところにいるもんね。だからこそ「村瀬さんすごいー」で済まされたら、かなわんのですよ。
 これは、虐待に関する三好さんや高口さんの発言に対する「仲間たち」の反応も同じです。フェイスブック(社長さんは詳しくないかもしれませんが)で言うところの、「同感!いいね!シェア」で、 三好さんや高口さんの発言が少なくない「仲間たち」に支持された、と言う体で、どんどん彼方の流されていっちゃうんです。
 それは、三好さんや高口さんを「権威」として扱うことによって得られる安心感です。権威が言っていることに、「同感いいねシェア」することで一件落着しちゃう、みたいな。
 結果、みんなあの虐待殺人事件を「あれは自分ではなかった」とあつかえて、一件落着です。議論が深まっていかないんです。権威になることを否定している三好さんを、そんな風に扱うのは、矛盾している。村瀬さんすごいー!も、同じだと思うんです。
 新しいブリコで藤渕氏が何を書いているか、まだ読んでいませんが、僕はかなり注目します。いらいらしていますから。彼には、虐待する主体として、何か書いていることを期待します。虐待する主体としての僕は。
 ですので、僕は村瀬さんが言った「システムを作らないためのシステム」みたいな話や、生きた「場」をどう作るかみたいな話を、そういうふうに安っぽく消費されないようにしたいんです。無条件に「同感いいねシェア」とか言わせたくないので、どこかに対立概念を設定して、流させないようなことをしなくちゃ、と思うんです。対立概念を可視化させることで、彼の言っていることの意味を、明らかにしてもっと掘り下げたい。まめ家セミナーに来てくださるんですから、折角。
 それが、「味方と思わないで」の意味です。僕が一番味方ですもん、きっと。
 今回一番よかったのは、村瀬さんの生の話が聞けた気がしたことでした。
 大概ツアー参加者の感じも分かるし、かしこまった制約があるわけではなし、何より自分の場所でしゃべるから、とてもフランクで、ストレートにこちらに届きました。しかも、内容は雑談レベルじゃ全然ないですもん。講演のレベルでしたもんね。
 しかも、リアルタイムの、まだ整理の着いていない話もしてくれましたし。
 そういうところから、村瀬さんの考え方、思い方がよくくみ取れました。おそらく、今まで聞いた村瀬さんの中で、ダントツ一番、キタですね。
 社長さんのブログの中で彼は「見学していただくほどの中身はありません」と言っていますが、僕らは中身なんてきっとどうでもいいんです。見えない奮闘をやろうとしている人がいるという事実だけで十分なんです。流れ作業にならない介護のシステムなんて、そう簡単にできないでしょうし、出来たとしても一瞬です。一瞬でいつでも台無しになっちゃうはかないものに違いないでしょう。
 村瀬さんはそんなこと分かってるんです。一瞬で崩れ去るような儚いものを、5年かけて積み重ねようというんですよ。積み重ねたって一瞬で崩れ去るかもしれないのに。このことの意味を、ちゃんと伝えたいんです。
 立派な考えだとかそういう次元じゃない。ましてや、介護のコツとかそんな話じゃないんです。いやはや、すいません、とりとめがないんです、私。もうやめます。
 (以下は、まったくプライベートな話なので省略します)
                                 コレナガ」

18:52

「よりあい見学ツアー」の反響①

03 18 *2016 | 未分類

 きのうブログに「よりあい見学ツアー」同行記をUPしたら、さっそく四国・今治から参加された保持雅子さんから感想メールをいただいた。
 ツアーの申込みメールに、今年、三好さんのインドツアーに参加したとあり、しかもガンジス河で泳ぎましたと書かれていた。ぼくは、インドに行ったと聞くと、自分が一緒に行ったわけでもないのに、なぜか親近感を抱いてしまう癖がある。旧知の間柄のように思ってしまうのである。ぼくが直接・間接のきっかけとなってインドに行かれた方は、おそらく200~300人はおられるのではないか。その「ご縁」の鎖に連なったおひとりが保持さんである。
 お名前をどう読むのかわからなかったので、メールで問い合わせさせていただいた。「やすもち」と読むとわかったが、友だちからは「ほじほじ」と呼ばれていたと書いてあった。今回、お会いするのは初めてだったが、その語感がおもしろくて、ツアーのあいだ、なれなれしく「ほじほじさん」と呼ばせていただいた。
 今回のツアーでのみなさんとのお付き合いは、正味丸1日に満たない時間だった。それでも、一緒に旅をした仲間という、独特の親密さを感じてしまう。
 海外を一緒に旅した仲間に対しては、その度合いはもっと深まる。何日も一緒に過ごしたという体験の厚みだけでなく、おそらく日本では見られないその人の「素」をのぞき見ることができるからだろう。
 で、ほじほじさんのご許可をいただいて、ここにメールの全文を掲載させていただく。ぼくの「同行記」と併せて読んでいただくと、このツアーの全貌が姿を現してくるはずだ。

「遅ればせながら、よりあい見学ツアー、大変お世話になりました。今治のほじほじです。
 ブログを読ませて頂きました。
 私は何故か、インドツアーよりも緊張しての参加でした。
 が、茶山駅でみんなと合流した瞬間からそんな緊張も吹き飛び、あとは流れに身を任せ、自然に過ごせました。
 きっと集まった私たちは、困ったときも自分で何とかする自己完結ができる人ばかりで、そこにすでに『場』ができていたんでしょうね~
 茂木さんの心配や不安にも全く気がつかず、本当に楽しく、多くを学んだ2日間でした。
 特に、私も第2よりあいにはやられました。
 こんな落ち着く場所だから、折り紙も塗り絵も要らないのだな~私もここで看取られたいと真剣に思いました。
 村瀬さんと下村さんにも初めてお目にかかりましたが、きたろう似の村瀬さんは本物の『人たらし』ですね!
 ずっと側に居て話をしていたくなる…お年寄りもそうなんでしょうね。
 下村さんも物凄いエネルギーを蓄えておられる方ですね。
 私が宅老所の立ち上げを考えていると伝えると、「今から立ち上げるの?わ~大変よ!」と笑われましたが^.^;
 大阪の母を今治に連れて来ることは「かわいそうよ!」とも言われました。
 大阪の実家近くにも、よりあいのような場所があればいいのですが…。
 よりあいの素晴らしさを知れば知るほど、「こんな場所を私も作りたい!」という気持ちと、「果たして自分にこんな場所が作れるのか?」という不安が入り交じります。
 母の介護で大阪に通いながらなので、宅老所立ち上げをどんどん進めることはできないにしろ、ただの『介護おたく』には陥らないように頑張ります!!

 中矢さんのあんきツアー、日程が決まればお知らせくださいね。喜んでお手伝いさせてもらいます。

[追伸] 
 私も原発再稼働反対、安保法制廃止デモや署名活動を頑張っています。
 一度、官邸前でもマイクを握りました。明日は今治で街宣です! この夏にはアベ政権を倒さねば!!

                        愛媛・今治 保持雅子」

17:18

「よりあい見学ツアー」同行記

03 17 *2016 | 未分類

 3月11日(木)と12日(金)、「よりあい見学ツアー」を主催させていただいた。参加者は21都府県にまたがっており、スタッフを入れて50名という大所帯。昨年の4月にオープンした特養よりあいの森に加えて、3つの宅老所すべてを見学するという「欲張りツアー」である。
 ツアーの中身については、『ブリコラージュ』編集部が同行してくれたので、やがて雑誌にレポートが載るはずである。そこは省略して、今回はツアーを企画することと実際にそこで起こったことの「ずれ」について書いてみたい。

 集合場所を、よりあいの森まで徒歩5分の地下鉄七隈線「茶山」駅にさせていただいた。施設長の村瀬孝生さんから、「森に集合じゃだめなの?」と聞かれたが、やや登り勾配の住宅街を歩いていくと左手に忽然と現れる「森」と、急坂を下って正面で待ち構えている古民家(第3よりあい)へのアプローチをみなさんと一緒に体験したかったので、茶山駅集合にこだわったのである。
 飛行機の到着が遅れ、われわれスタッフが茶山駅に着いたのは集合時間ギリギリだった。すでにほとんどの参加者が改札口付近に集まっていて、それを見た瞬間、この人たち1人ひとりに満足していただける2日間を用意するのは至難だなあと感じた。このツアーのスケジュールをつくる過程で、何度も何度もシミュレーションをしていたはずだった。しかし、実際に50人を目の前にして、そのエネルギーに圧倒されそうになった。
 しかし、ここで怯んではいられない。すぐに第1ゲートをつくり、参加者のチェックをして、駅まで出迎えてくれた村瀬さんに30人ほどの先発隊を誘導していただく。遅れて到着するという連絡があった数名は、村瀬さんと一緒に出迎えてくれた安永さんに任せ、スタッフは第2集団を引率して森に向かった。

 森に着いて、あらかじめ用意しておいた名簿をもとに10人ずつ5つのグループに分かれ、リーダーを決めていただいた。続いて、グループメンバーによる自己紹介タイム…。というのも、この日、特養見学のあと、地下鉄を乗り継いで宅老所よりあいに向かう予定である。移動の各ポイントで、全員を一度に点呼するのは大変そうだ。グループごと、リーダーが責任を持って移動してくださいとお願いした。
 よりあいまで無事に移動できれば、あとは下村恵美子さんとのセッション、そしてお楽しみの懇親会が待っている。50人という大集団なので、参加者の方にはさぞ窮屈で不自由な思いをさせてしまうだろう。そのストレスを、懇親会を盛り上げることで帳消しにしてしまおうという作戦である。
 さらに翌日の12日は、第2よりあいの見学がある。目的のバス停まで、博多駅からバスで40分かかる。グループごと2台のバスに分乗して行く予定だが、それがうまくいくかどうか…。バス停まで着ければ、第2よりあいのスタッフが出迎えてくれる手筈になっている。

 特養の居室見学(1~2階)はグループごとに、俵さんと、後から到着した安永さんに順次、案内していただいた。そして、全員に広いリビングに集まっていただき、村瀬さんのミニ講演、質疑応答と、予定どおりスケジュールが進んでいった。このあたりで、ぼくのなかで、すでに「場」はつくられた、このツアーはうまくいくという根拠のない確信が生まれた。
 ここまで、くどくどと書いてきたのは、主催者としての自慢話がしたかったわけではない。そうではなく、別に言いたいことがあったのだ。先を急ぎたいのだが、その前に、このツアーのことで村瀬さんと何度もメールのやりとりをしていたら、ある日のメールにこんなことが書かれていた。

「いま、よりあいの森の職員たちと『場』と『場をつくること』とは何かを考えています。いま、それを意識してお年寄りと過ごさないと、数年もしないうちに『よりあいの森』は流れ作業のルーティンワーク、ただの介護作業所になるでしょう。それは目に見えています。
 これまで特養で働く人たちは、画一的で流れ作業のような介護から脱却することに努力してきました。それは、お年寄りと職員がともに生きる『場』を創る努力であったとも言えます。
僕も今、そのことに向き合っている実感がムクムクと膨らんでいるのです。『どうすれば、介護が流れ作業にならないか』。俄然、楽しくなってきたのです。
 ですから、多くの方に見学いただくほどの中身などありません。これから、おそらくは最低でも5年ほどかけてこの建物に内実ある時間を地層のように積み重ねていくのです。
 見学に来られるみなさんには今、そのことに奮闘している現状を見ていただくことになると思います。でもそれは、見えない奮闘です」

 このメールを受け取ってから、ぼくはよりあいの「場をつくる」努力とはなにかを考え始めた。もうひとつ、メールの最後に書かれていた「見えない奮闘」を、このツアーの中で可視化することはできないか、とも考えた。どうやって? そのためには、まずはこのツアーのプログラムとかスケジュールという壁がちょっと邪魔になる。
 ぼくがツアー「主催者(サービス提供者)」で、みなさんがツアー「参加者(サービス享受者)」であるという壁をできるだけ低くする。そのことを忘れてよいわけはないが、少なくとも外出着を普段着にする程度には「役割」から解放される必要がある。なにより、ぼくの知る限り、よりあいの「ケア」には、プログラムもスケジュールもないからだ。

 なぜそう思ったか。少し回り道をしよう。30代の初め、ぼくは2度目のインドへの旅で、約1か月、インドとネパールを放浪した。もともと超貧乏旅行だったので、旅の終盤ではほとんど所持金を遣い果たしていた。さすがにもう日本に帰らなければと思っていた矢先、乞食の子どもたちに囲まれた。ぼくには、もう彼らにあげられるお金がなかった。すぐに、彼らはそれを見抜いた。この旅人は、ほんとうにお金を持っていない、と。
 そのあと、ぼくは彼らと仲良くなり、ずいぶん長い時間、一緒にゲームをしたりして楽しく遊んだ。なにが起こったのか。なぜ仲良くなれたのか。ぼくたちは「施す側」と「施される側」という役割から解放されたからだ。

 場とは、場をつくるとはなんだろう。場とは、たまたまそこに居合わせた人が、あるいはある目的をもってそこに参集した人によって生み出される時空間である。だが、集まっただけでは「場」はつくれない。そこに「場」が生成されるための条件は、1人ひとりがそこにもっともその人らしく、もっともその人にふさわしい仕方で存在できているかどうか、だ。人だけではない、その場を包んでいる「環境」も大切な要素だろう。
 では、場とはつくるものか、つくられるものか。仮につくられるものだとすれば、じっと待っていれば、なにかがそこに自ずから立ち上がってくるのか。そうではないだろう。マッチを擦って点火するように、なにかの働きかけは必要なのだ。そのことによって、化学反応が起こる。あとは、相互作用によって場が濃密化するのを待つだけだ。
 場が濃密化すると、そこではあらゆることが起こりうる。時には、喧嘩だって起こるだろう。恋だって生まれるかもしれない。それでも、「場」はそれを制御し、収束させる力をもっている。混乱を治める「正しい」解決方法というものはない。法律も規則も役に立たない。「法」とは外部から介入してくる暴力である。そうではなく、当事者間で「納得」が起こればいいのだ。「納得」には時間がかかる場合もあるだろう。しかし、それを待つ以外に方法はない。闘争をやめた動物のオスは、相手から目をそらす。それが「納得」に至る始まりの合図である。

 回りくどいことを回りくどく書いてしまった。ぼくは、このツアーで「場」がつくられたことを確信した、という意味のことを書いた。どういうことか。参加者のみなさん1人ひとりが、そこにその人らしく存在したからだ。その場の生成に、自らが積極的に関与し始めたからだ。
 みなさんには「期待値」があった。こんな感じのツアーだったらいいな、という期待値。そしてそれは、自分という存在を丸ごとそこに投げ込むことで豊穣化することを感じ取られていた。さすが、百戦錬磨の介護職。その空気が集団感染を引き起こした。もちろん、特養よりあいの森という開放的な空間が、そういうことを起こりやすくしていたことも付け加えておくべきだろう。

 宅老所よりあいに移動する時間になった。みなさんに外に出てグループごと集まっていただくようお願いした。しかし、なかなかみなさん出て来られない。少ないトイレが渋滞していたこともあるけれど、本や雑誌を買う人、写真を撮りまくる人、もうそれぞれが勝手に楽しんでいる。あの「だらだら感」はぼくにはとても快感だった。ツアーがいい感じになってきた。

 懇親会のことも書いておこう。このブログは、文章だけで写真は使わない方針なので、懇親会のビジュアルは雑誌『ブリコラージュ』のFacebookをご覧ください。
 先ほど、懇親会を盛り上げそこで挽回しようと思っていた、と書いた。実は、事務局を担当してくれた増田信吾さんをとおして、彼の知り合いに事前に「出し物」を準備してもらっていた。50名ひとりずつの自己紹介も考えたのだが、ひとり1分割り当てでも50分かかってしまう。
 出し物大会は予想外に盛り上がった。5名の最多動員数を誇る甲府の「ごくらく介護の会」の寸劇と紙芝居から始まり、着流しスタイルにサングラス、金髪のかつらをつけて登場した事務局・増田さんの「ギター侍」、鳥取から参加の松原姉妹による讃美歌のデュオ(お揃いのシスター衣装で登場!)。ぼくも調子に乗ってギターで陽水を歌い始めたら指が動かない。すかさず、岐阜から参加してくれた伊永紳一郎さんが伴奏をつけてくれたので、なんとか凌いだ。そのあと、伊永さんのプロ級の弾き語りへと続く(曲名は「可愛いすーちゃん」)。
 山形から参加の川上さん・佐々木さんから、津軽三味線をやりたいと言われたが、そんな用意はしていない。仕方なく、フライパンを三味線に、スプーンをバチにして「浪花節だよ人生は」の生演奏をしていただいた。兵庫の足立さんの一発芸は1分もたなかった。
 なんといっても、最大の盛り上がりを見せたのは、千葉の「いしいさん家」の2人組によるパフォーマンス。そこに、この懇親会のためだけに千葉から駆けつけてくれた代表の石井英寿さんも参戦して、さて3人が繰り広げたパフォーマンスとは…、残念ながらここではご紹介できない。練習では完璧だったのに、本番では完璧に「すべった」らしい。3人とも激しく落ち込んでいたのが、なんとも痛ましかった。最新情報によると、次回のツアーでもう一度チャレンジされるようだ。そのときまで、ネタは秘密にしておこう。

 懇親会のもうひとりの主役は、中華料理だった。スタッフの弟さんが中華料理のシェフで、50人では食べきれないほどの、しかも本格的な美味しい料理に腕をふるっていただいた。よりあいスタッフのみなさんは、おそらく自分たちは食べる時間もなかっただろうに、勝手に盛り上がっているわれわれへの給仕サービスにまめまめしく立ち働いていただいた。なんとお礼を申し上げてよいかわからない。

 さて、「見えない奮闘」は見えたのか。2日目、第2よりあい見学後の「閉会式」に、村瀬さんは予定より遅れて登場した。懇親会の宴のあと、われわれが街に繰り出して騒いでいた同じ時刻に、よりあい内部で起こっていた出来事と、その翌日、たった今、現場でなにが起こっているかという、リアルタイムの報告があった。「笑い」を誘う報告だったが、その背後で生起しているケア現場ののっぴきならないリアルがそこにのぞいていた。「見えない奮闘」が見えた気がした。
 
 もうひとつだけ書いておこう。ぼくたちスタッフは2本目のバスで第2よりあいに着いた。最初に目撃したのは、先に着いた参加者たちが、スタッフやお年寄りたちに完全にまぎれ混んでいて、だれがスタッフでだれが参加者か、判別しがたい光景だった。そのままそこにスタッフとして居残りそうな参加者も何人か見受けられた。壁は消えていた。いや、そもそも壁なんて存在しなかったのだ。

 閉会式が終わって第2よりあいの外に出て、参加者のみなさんをお見送りした。みなさんから、感謝のことばをたくさんいただいた。来てよかった、楽しかった、夢のような幸せな2日間だった、と。机上のプランは現実に裏切られる。しかし、それがプランを立てた者の意図を超えて、参加者の期待値さえ超えて、そこにみなさんが言われたように「恩寵のような」時間と空間が出現したのだとすれば、そのためのフィールドがそこに周到に準備されていたからである。よいあいが25年かけてつくり上げてきた「場の力」がぼくたちに働きかけ、挑発し、そこによりあいスタッフが助演者として加わり、その舞台の上でぼくたち一行は気持ちよく存在のダンスを踊っていたのだ。もちろん、ぼくたち一行を、背後から、側面から、そして正面からもてなしてしてくれた総指揮官が村瀬孝生さんであったことは、言うまでもないだろう。

 東京に戻ると、大阪から参加された方からこんなメールが届いていた。
「今回のよりあいの森見学ツアー本当にありがとうございました。とても楽しくて幸せな2日間でした。私一人だけではなく、つれあいにもこの楽しく幸せな気分を味わってもらいたいと思い、さっそく6月の申し込みをさせて頂きます」

 もうひとり、なるほどケア塾主催セミナーの常連・斉藤ゆきさんから届いた手紙も本人の許可を得て掲載しておく。
「2日間のよりあい見学ツアー、お疲れ様でした。お陰さまで『よりあいに行く』という私の夢が叶いました。個人では決して体験できなかったであろう大変貴重な、充実した2日間でした。大感謝です。
 下村恵美子・村瀬孝生両氏の不思議な世界というのでしょうか、時間と空間のマジックにかかったような、異次元に足を踏み入れたような、なんとも不思議で、それでいて違和感ではなく、落ち着いた安心感、何かに守られているような心地良さをずっと感じておりました。私にはうまく表現できませんが、今もまだ不思議な感覚を味わっています。
 ところで、伊永さんに伺ったんですが、私、もつ鍋屋ではだいぶ社長にからんでいたようですね。アル中ハイマーの症状なんでしょうか…申し訳ありません…憶えておりません」(以下略)

 あとの数行は余計だが、2日目の第2よりあいで、二日酔いでずっと横になって伸びていたのが彼女である。ぼくも、東京に戻って何日も経つのに、微熱を伴ったような浮遊感からまだ抜け出せないでいる。

 村瀬孝生さん、下村恵美子さん、いちいちお名前は挙げませんが、献身的にもてなしていただいたよりあいスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。実に、実に楽しく充実した2日間でした。
 このツアーで味を占めたので、これから病みつきになりそうです。とりあえず、6月19日~20日の2日間、またお世話になりますので、よろしくお願いいたします。

[追記]きのうブログをUPしてからも、ツアーの感謝メールや次回ツアーの申し込みなどが次々と舞い込んでいる。懇親会の出し物の記述、情報不足でアバウトに書いてしまったが、正確な情報が増田さんから届いたので付記しておく。
 松原姉妹が歌った、最初の曲が「我をも救いし」または「Amazing Grace(アメージング・グレイス)」で、次の曲が「Hail holy queen(ヘイル・ホーリー・クイーン)」です。
 山形の川上さん、佐々木さんの2人が演奏された、あのエア三味線は、ほんとはスコップと、栓抜きもしくは、しゃもじでやり、スコップ三味線というそうです。雪国である、青森県五所川原市が発祥だそうです。
 ※3月18日、65回目の誕生日に記す。

14:23

講演の後出しレジュメ

02 27 *2016 | 未分類

 介護職のみなさん、長いごぶさたでした。
 突然、ブログ再開します。
 実は、おととい、とうきょう地域ケア研究会というところでおしゃべりしてきました。講演なんて不慣れなことを引き受けてしまって、と当日まで後悔しっぱなしで、昼過ぎに主催者の宇佐神さんから「今日はよろしく」と電話をいただき、もう逃げられないと覚悟したものの…、お察しのとおり結果はメロメロ、ズタズタでした。
 講演を聞きに来てくれた遠山昭雄さんから、昨夜、おしゃべりの感想と内容についての質問のメールが届きました。さて、返事を書こうと思って、どうせくどくどと長い言い訳を書くことになるんだし、いっそのこと、ブログに書いちゃえ、というのが再開する動機です。

 ブログは去年の9月に中断したままになってました。つい先日、岐阜の伊永紳一郎くんから、「ブログが全然更新されていませんよ。楽しみにしているんですから、書いてください」という強迫まがいのメールが届くし、三好春樹さんをはじめ、おととい講演を主催してくれた人たちからも、いつ再開するのかと催促されていて、こんなにいろんな人たちが読んでくれているんだと感謝の気持ちは湧き上がるんですが、なかなか一歩を踏み出せないでいました。
 再開できなかった理由はふたつです。昨年の9月末、ある宴席で意識を失いました。しばらくして意識が戻ったんですが(顔面蒼白、全身汗びっしょりだったと同席していた松村康貴くんから聞きました)、それからというもの体調がすぐれず、ビールをコップ半分くらいで気分が悪くなり吐きそうになる。パソコンに向かっても集中できない。それが2か月ほど続きました。いろいろ検査しましたが、とくに悪いところは見つからなかった。なので、12月にはほぼ回復していたんです。三好さんからは、「デモに入れ込み過ぎたんじゃないか。安倍を倒す前に自分が先に倒れてどうする」と諭されましたけど…。あとは、怠け癖がついてサボっていただけです。
 もうひとつの理由は長くなるので、機会があったら然るべきときに書きます。

 当日の講演テーマは「介護の本を作りながら考えてきた老・病・死」、サブタイトルが「介護家族に介護理論は有効か」で、これは自分で考えました。持ち時間は2時間。
 講演に向けて用意した本は、以下の5冊でした。
 ①三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)
 ②大井玄『呆けたカントに「理性」はあるか』(新潮新書)
 ③村瀬孝生・東田勉『認知症をつくっているのは誰なのか』(SB新書)
 ④ねじめ正一『認知の母にキッスされ』(中央公論新社)
 ⑤椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮文庫)
 これを見て、どんな話になるのか、だいたいのイメージがつかめるでしょうか。でも、時間配分がうまくいかず、②と⑤にはまったく触れられませんでした。①もほんの入り口だけ…。

 話の組み立てですが、
 1、「65歳を目前にしたいまの心境」というか「老いの心象風景」から始まって、「寿命とはなにか」「少子高齢化社会とはなにか」を話し、「で、なにか問題でも?」とつないで、「医療モデルと生活モデル」というが、いまの介護界を見渡すと「生活モデル」なんか程遠くて、医療モデルから全然、脱却できていないじゃないかという話。「認知症」の人が病んでいるのではなく、病んでいるのはわれわれなんじゃないかという話。
 ここまでが序論というか、マクラのつもりでした。これをモタモタ話していて、はっと時計を見ると、すでに1時間が経過してました。あわてました。あとは話を思いっきり短くして、要点だけ話すしかありません。それでも、時間がぜんぜん足りない! ここから話は、混乱の度を深めていきます。

 2、雲母書房という出版社を立ち上げて26年、出版社の社長をやってきて、出会ったたくさんの人との交流の話。これ、主催者からの要請でしたが、こんなの話してたらいくら時間があっても足りません。なので、登場人物を三好春樹、下村恵美子、村瀬孝生の3人にしぼりました。この日のテーマのひとつ「認知症」という世界を、もっとも魅力的に描写し、その深遠な世界について開眼させてくれたのがこの3人だったからです。

 3、ここで、やっと「よりあい」に辿り着きました。「よりあい」との交流も、もう20年近くになります。最初によりあいを訪れたときの衝撃から話し始め、ぼくが外部から観察してきた「よりあい」のケアとはなにかを話しました。
 ここで言いたかったとりあえずの結論は、認知症のケアに理論や技法は不要であるということです。どう関わればよいかは、認知症の人が教えてくれる。だって、相手は認知症のプロです。技は「匠」から盗めばよい。それが、ぼくがよりあいから学んだ認知症ケアの核心でした。それを正当化し権威づけるために、松尾芭蕉の「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」という俳諧論を引いたりして…。
 もうひとつ、「デタッチメント」ということばをキーワードに、では介護のプロとはなにか、専門性とはなにかを考えてみました。デタッチメントはふつう「無関心」とか「非人情」と訳され、あまりよい意味では使われません。
 ところで、観音菩薩の前世は、常泣菩薩だった、と中沢新一の本で教わりました。常泣菩薩さんは、他者に対する共感能力に秀でていて、他者の不幸や苦しみを我が事のように感じて、いっしょに泣いてくれます。しかし、そのあとどうすればよいかという手段をもたなかった。生まれ変わった観音菩薩のひとりに、千手観音がいます。千の手を持ち、その1つひとつに目がついている。苦しむ衆生を救う千の方法を手に入れたわけです。でも、その手段はいざという時しか行使せず、棚上げにできるかどうかが対人援助という仕事のプロなんじゃないか…。
 デタッチメントの反対はアタッチメントで、愛情とか愛着と訳されます。子どもにとって愛着対象は不可欠ですが、老人に対してはどうでしょう。それでは迫り過ぎでしょう。暑苦しい。まるで常泣菩薩みたいです。そこで、「やさしい無関心」という立ち位置について話しました。
 我ながら、介護の仕事をしたこともないのに、よく言うよ! と思いながら、急ごしらえの自説を展開しました。ここまで言えれば、目的の半分くらいまではきたなと思いました。時計を見ると、もう予定時間が迫っていました。まだ半分か…、道は遠い。

 4、認知症ケアの技法、とくにユマニチュードにしぼって、その有効性を検証してみようと思いました。「見る」「言葉をかける」「触れる」「立つ」という4つのメソッドについて、そのいちいちについて「反証」を試みようと思いました。人間関係の深まりのなかから徐々につくられていく「間合い」や「立ち位置」や「信頼」が、一朝一夕につくれるわけがありません。でも、この話はうまくいきませんでした。

 5、では、認知症の人とのコミュニケーションはどうすればよいか。ここから、①と②の文献を紹介しながら、「理解すること」と「納得すること」の違いを糸口に、言葉を失っても言葉が理解できなくなっても、コミュニケーションは十分に可能であることを論証しようと思いました。それと生命記憶のるつぼである「心=身体」の驚異的な能力という話もしたかった。でも、これはまだ自分の中で論理構成が不十分だし、とんでもなく説明に時間がかかりそうなのでパスしました。
 ここで話そうと思ったことは谷川俊太郎の短い詩が言い尽くしているので、これを朗読してお茶をにごしました。ここに引いておきます。
 「芝生」
 そして私はいつか
 どこかから来て
 不意にこの芝生の上に立っていた
 なすべきことはすべて
 私の細胞が記憶していた
 だから私は人間の形をし
 幸せについて語りさえしたのだ
 
 6、「環境適応」ということについて話そうと思いました。「手を打てば、鳥は飛び立つ鯉は寄る、女中茶を持つ猿沢の池」という歌が奈良の興福寺にあるそうです。いろんなところに引用されています。「パン」という手を叩く音を、三者三様に違った「意味」として聞き取ります。それぞれの生命は、刻々と変化する環境世界に、持てる能力をフル活用して向き合いつつ生きています。認知症の人もまったく同じです。そこに優劣はありません。
 渡り鳥や鮭の回遊、5歳児の子どもの世界、認知症の世界を比較しながら、とくに村瀬さんの認知症についての考え方を、③の文献に触れながら考えてみようと思いました。しかし、これも時間がないので飛ばしました。

 7、看取りと死について、ぼくが考えてきたことを話そうと思いました。自分の人生で、もっとも多くの時間を費やして考えてきたテーマは「死」です。昨年、雲母書房を後進に譲り、新しく立ち上げた会社では介護職向けのセミナーを全国各地で開催しています。気が付いてみると、「看取り」や「死」をテーマにしたセミナーばっかりです。
 葬式について、お墓について、文献⑤に触れながら考えてみようと思いました。また、見ることはできないが感じることはできる「魂」とはなにか、循環的時間について、また年齢とともに死が怖くなくなったいきさつについて話そうと思いました。
 日本の古代人の死生観、また西行、芭蕉、良寛、漱石、宮澤賢治をとおして、この国の死生観の系譜を考えてみようと思いました。
 宮澤賢治の「雨ニモマケズ」に「南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい」という一節があります。ぼくは一体、目の前の死にそうな人に向かって「怖がらなくてもいい」と言えるだろうか。うわべだけの励ましなんて、すぐに見破られてしまうでしょう。そういう台詞が言える境地とはどんな境地なのか、この答えのない問いにも触れてみようと思いました。
 引用して考えてみたかったのはふたつの歌です。
 与謝野晶子「いづくへか 帰る日近き ここちして この世のものの なつかしきころ」という晩年の歌。
 ここまでの境地に至れたらいいな、とずっと憧れてきた良寛の晩年の歌。
「形見とて 何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」
 しかし、このテーマにはまったく踏み込む時間がありませんでした。なので、ちょっと説明が長くなりました。
 
 8、89歳で4年前に亡くなった母の介護について話しました。ここはけっこう話せたので、内容は省略します。次第に深まっていく母の妄想とつき合った日々、老健から引き取っての在宅での介護、食を断つ宣言をして死に至るまでを話しました。でも、ひとつ言い落したことがありました。しかし、話すならともかく、文章に書くのはためらわれます。また機会があったら話します。実に滑稽だった葬儀の顛末も話せませんでした。
 ねじめ正一の本から、一節を朗読しました。「認知の母」とのやりとりが絶妙です。読みながら、こういう日々は二度と帰ってこないのだと思い、妄想があってもいいからもっと話したかったという悔恨の念にかられました。
 このあたりで、もう持ち時間の2時間をとっくにオーバーしていて、主催者が困っている様子がうかがえました。

 9、これから、われわれはどこに向かえばいいかという話は、さすがにもう時間的に無理でした。仕方なく、行き詰った現場を明るくするためのふたつのキーワード、「笑い」と「遊び」の効用について、いくつか例を挙げて話しました。どちらもいまの社会では低く見積もられていますが、このふたつこそ現状を突破し「希望」につなげる力を秘めている。といっても、具体的な方法ではなく、精神の在り方なんですけど。
 「笑い」について話した例で、大ウケしたネタがありました。ぼくが雲母書房で最後に手掛けた本、鷲田清一・徳永進対談集『ケアの宛先』に出てくる話です。161頁です。買って読んでみてください。

 以上が、話したことと話せなかったことのアウトラインというか、「後出しレジュメ」です。
 自分の中での採点は、20点です。顔を洗って出直したい気分です。
 うまく話せなかったところ、まったく触れられなかったところ、それを追い追い書いていこうと思っています。
 こういう機会を与えてくれた「とうきょう地域ケア研」の山田さん、宇佐神さん、斎藤さん、ありがとう。また、寒い中、聞きに来ていただいたみなさん、ありがとうございました。

15:55

もっと広場を!

09 23 *2015 | 未分類

 前回のブログが途中で終わってしまったので書き継いでいく。
 その前に、前々回のブログに書いたことで事実に反する表現があったので、急いで修正しておきたい。
 琉球王国は、1609年に薩摩藩に「編入」されたと書いたが、これは誤りである。薩摩の武力侵攻とその後の支配は続いたが、「琉球王国」自体は残され、明治の「琉球処分」で日本に編入されるまで存続した、というのが正解。失礼しました。

 さて前回、なぜ警察の過剰警備やそれをチェックする「官邸前見守り弁護団」の活動について書いたかというと、この間、連日の国会前包囲行動に参加して、窮屈この上ない思いをしたからである。国会前に行こうと思っても、途中で人の波に遮られて前に進むことができない。スピーチは拡声器を通してしか聞こえないし、一体、どれだけの参加者がいるのかを目視することもできない。
 東京には大勢の市民が集い、政治的意思を自由に表現する「広場」があまりにも少ない、と思った。しかし、その集会の自由すらいま脅かされているのだ。

 3年前のこと、脱原発抗議行動の主催団体「首都圏反原発連合」がデモの出発地点として申請した日比谷公園使用について、東京都は公園の使用を認めなかった。その後、主催者は東京都に対し日比谷公園の利用を仮に義務づける決定を求め告訴した。東京地裁が却下したため、即時抗告したが、東京高裁もこれを認めない判決を下している。
 高裁で裁判長は「組織化された団体のデモではなく、一般市民に広く参加を呼び掛けており、人数をあらかじめ把握することは困難」と指摘、公園管理上の支障を理由とした不許可はやむを得ないとしたのだ。これは表現の自由・集会の自由に対する不当な侵害、政治弾圧である。
 地方自治法には、都市公園は「公の施設であって、正当な理由がない限り、住民がこれを利用することを拒んではならず、また住民の利用について不当な差別的取扱をしてはならない」とちゃんと書いてある。
 ところで、公園使用を認めない決定をした責任者は、東京都知事になる直前の(まだ副知事だった)猪瀬直樹である。このことはよーく覚えておこう。

 実はぼくは、前回のブログの最後に、「皇居前広場を市民に開放せよ!」という呼びかけを書こうと考えていた。ところが、すぐその後で、ルポライターの鎌田慧が9月1日付の東京新聞に「広場と民主主義」というテーマでコラムを書いていたことを知った。ぼくが訴えようとしたことが、そっくりそのまま書かれていたので驚いた。こういうのをシンクロニシティと言うんだろうね。
 鎌田さんは、「さようなら原発」運動の呼びかけ人であり、戦争法案反対の国会前デモでは、「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人でもある。いわば、3・11以降の市民運動を主導してきた、ぼくがもっとも信頼を寄せる言論人のひとりである。
 長いが、東京新聞のコラムの全文を引く。

『「東京に空がない」といったのは高村智恵子だが、それに倣って、「東京には広場がない」といいたい。
 都心にある明治公園は、問題の「新国立競技場」建設で使えない。日比谷公園の野外音楽堂は4,000人ほど。数万人がはいれるのは代々木公園だが、たいがいイベントでふさがっていて、集会に借りられるのは年に数回しかない。
 30日の安保法案反対集会は、警察関係者によると3万人程度だという(主催者発表では12万人:筆者注)。最近は、意識的に過小な数字をマスコミは使わなかったが、一部では平然と使いだした。当局発表に新聞はあまり責任を負わない。それが客観報道(冤罪被害をみよ)のあしき伝統か。
 広場がなくて一カ所に集まれない。30日は過剰規制が人波で決壊して、議事堂正門前大通りの大群が可視化できた。
 それ以外にも国会の周りの歩道はもちろん、最高裁から国土交通省、外務省、財務省の霞が関一帯、日比谷公園前までひとであふれた。警察がウソを言ってはいけない。
 広場がないのは、政府に抗議する人たちを分散して隠す、一種の陰謀といえる。大きな広場があれば、おのずからひとは集まりやすくなる。
 1952年ごろまで、皇居前広場はひらかれた場所だった。それが禁止されていまに至る。公安条例で、集会、デモは厳しく制限されている。それで民主主義国家といえるのか』

 そこで、皇居前広場の歴史をネットで調べていたら、ずいぶん前の共産党機関紙『赤旗』に、こんな記事が載っていた。またまた長い引用で、しかも今回は引用ばっかりで恐縮だが、皇居前広場を市民の手に取り戻すために、知っておいたほうがよいと思われるので引いておく。

『皇居前広場は戦後、国が管轄する「国民公園」の一つとなり、厚生省が管理していました。1946年、50万人が参加した戦後初の中央メーデーで初めて使われて以来、50年まで毎年メーデー会場となりました。
 また、皇居前広場は、生活擁護、平和と民主主義を求める国民的なたたかいの舞台として、各種の集会が約4年間で40回も開かれ、「人民広場」という名前で呼ばれるほどでした。
 しかし、50年6月2日、米占領軍の要求により、警視庁が「当分の間」東京都内の一切の集会・デモを禁止、51年の第22回中央メーデーは、占領軍命令で皇居前広場の使用が禁止されました。
 52年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は形のうえで「独立」します。第23回中央メーデー主催者は、今年こそ皇居前広場を使おうと申請しましたが、政府は不許可を通告してきましたので、主催者は不許可処分の取り消しを求めて行政訴訟をおこし、東京地方裁判所は、政府が皇居前広場の使用を禁止したのは「集会の自由を保障した憲法第21条の規定に違反する」として、不許可処分を取り消す判決を、ちょうど「独立」の日にあたる4月28日に言い渡したのです。
 ところが、政府は判決に従わず控訴したため、第23回メーデーは明治神宮外苑・絵画館前広場で行わざるをえませんでした。
 メーデー事件は、デモ行進の解散地点である日比谷公園に着いた参加者が、政府の不当な使用禁止に対して抗議の意思をあらわすため、自発的にすぐ隣にある「人民広場」に平穏に集まったところ、治安立法の口実に「騒擾事件」を企図していた警視庁警官隊が一斉に警棒で殴りかかり、催涙ガス弾、けん銃弾を発射するなど、死者2人、1,500人の重軽傷者を出した事件です。このとき1,232人が逮捕され、261人が「騒擾罪」として起訴されましたが、1972年11月、東京高裁は騒擾罪全員無罪を言い渡し、確定しています。
 皇居前広場は現在は環境省が管理していますが、許可を得れば集会ができるという管理規則はそのまま残っています』

 皇居前広場での「血のメーデー事件」は知っていたが、そこに50万人もが集まっていたことは、不勉強につき知らなかった。5年前、天安門広場を訪れたとき、あそこには100万人が収容できると聞いた。花崗岩でできた長方形のブロック(記憶が定かではないが40センチ×100センチくらい?)が敷き詰められていて、そこにひとりが立つと50万人、ふたりで立つと100万人だと聞かされた。
 でも、広けりゃいいってもんじゃない。民主化を求める学生を戦車でひき殺したり、武力を誇示する軍事パレードに使われるのは御免こうむりたいものだ。

17:21